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須藤孝也 著
装画:奈良美智«After the Acid Rain»
装幀:近藤みどり
2021年8月20日発売
四六判 並製カバー装 296頁
定価:本体2,400円+税
ISBN 978-4-7531-0363-8
西洋には伝統的に「人間になる」というテーマがあった。だが前世紀にはそれを否定して「人間の終焉」が言われるようになった。しかし私たちはほんとうに「人間になる」ということを放棄してしまってよいのだろうか。
人間不在の市場原理に基づく「新自由主義」が、同じく人間不在の「科学」と「政治」を携えて、ほとんど日常化してしまった現代の日本。無力感、虚無感、絶望に落ち込む人が増えている。このような時代において、はたして人間の「人格」や「尊厳」は何によって担保されるのか。
民主主義のひとつの形を体現してきた、現代の北欧社会にも息づくセーレン・キルケゴールの思想。
「実存の哲学者」として陰に陽に、サルトルやハイデガー、アドルノ、デリダ、ドゥルーズといった現代思想家たちに影響を与えたキルケゴールが私たちに送る「人間とは惨めな存在である」というメッセージ。だからこそ、人間には「いたわり(ケア)」が必要なのだ。
19世紀北欧の哲学者キルケゴールとともに、人間不在と人間疎外の経済、政治、科学、教育が私たちを飲み込まんとする今日において、「人間になる」ことはいかにして可能か。気鋭の哲学者による「現代の批判」。
目次
前書き
第一章 単独者と超越
キルケゴールの生涯
第一節 単独性
自他の峻別
単独者の普遍性
第二節 主観性
主観性の真理
日本社会における真理の受けとめ方
第三節 内面性
内面性と外面性、時間性と永遠性
内面性と「心」
敬老の文化について
真理と心理
人間になるということ
第四節 真理の超越性
人間の真理と神の真理
超越性の効用
真理を欠く状況とは
人間恐怖
この世の善と救済
ありうべき赦し
単独者にとっての他者
第二章 人格とは何か
第一節 人格の生成と発展
実存の三段階とイロニーとフモール
イロニーから倫理へ
アルキメデスの点
懐疑と絶望
人格と責任
個人の文化と集団の文化
第二節 人格神との関わり
「人格神」信仰
キリストも人格をもつ
決断と臆病、信仰という期待
祈るとはどういうことか
振り返って理解するフモール
反復としての信仰
第三節 人格なき「現代」の諸相
諸宗教についてのキルケゴールの理解
キルケゴールの時代診断
客観性は人格を欠く
第四節 著作活動
どうして仮名著作を書いたのか
投影論批判
第三章 尊厳あるものへの関わり
第一節 父ミカエルとの関係
ミカエルの生い立ち
ミカエルの教育
第二節 恋人レギーネとの関係
レギーネとの出会い、婚約、別れ
人間の尊厳と愛
非対称な関係における愛
第三節 隣人愛
キリスト教倫理としての隣人愛
神の前の平等
水平化とは
愛と実践
与えるということ
卑賤のキリスト者
実際に助けるのでなければならない
西洋における尊厳論の起源としてのキリスト教
現代デンマークにおける尊厳と平等
人格なき日本人、尊厳なき日本社会
第四章 キルケゴールから現代へ
第一節 人間の惨めさ
キルケゴールと啓蒙
人間の惨めさ
惨めさから目を背けようとする私たち
無力さに絶望しないために
愛することといたわること
第二節 自然主義、相対主義、新自由主義
倫理を忘却する近代の知
「一つの正解」と「答えのなさ」
相対主義から自然主義、あるいは自文化主義へ
宗教を離れ、自然科学に寄っていった近代の哲学
近代哲学の欠点
折り合いの悪い他者との共生
この世は正義の世界ではない
差異の世界への愛着
自由主義と新自由主義
新自由主義からの脱却
第三節 キリスト教について
哲学の対象としてのキルケゴール
保守主義者キルケゴール
デンマーク人の「真理感覚」
抽象性なき日本文化
キルケゴールの政教分離
赦し
現代の絶望とキルケゴール
第四節 展望
キルケゴールの社会性
現代の課題
歴史的・社会的認識
友情論を付け加える
友情に対する否定的な評価
幸福について
欲望の再解釈・再構成
同じ人間/違う人間
単独者たちの民主主義
人間になろうとすることが支える民主主義
後書き
注釈